「普通」がわからなかった、『つぼみ』に込めた想い
「つぼみ」
並ぶこと合わせること みんなで笑い会うこと
周りが出来ること 普通が僕には分からなかった
世界がうるさすぎて
ひかりはこの目を刺す
誰にでもある当たり前を
少し分けて くれないか
君は枝の先の柔らかな蕾だから
吹く風も雲から刺す光も
強すぎて笑えるよな
同じじゃない事が時に君を比べるけど
追いつけていないのは君じゃなくて
このズレた世界の方だ
もらったメモを開き 薄目でなぞってみたら
「ありがとう、出会えてよかった」と
書かれてた 溢れだした
空を見上げている透明なその蕾は
きっと誰も見たことのない言葉と
ぬくもりを咲かせるだろう
同じじゃない事が時に君を輝かせる
眩しくて見えなかった世界は
少しだけ朝になった 雨の中
SABOTENの新曲『つぼみ』について、書いてみようと思います。
この曲は、僕の実体験であり、子供時代の記憶が大きく影響しています。
そして、今の僕から子供の頃の自分にかけたい言葉でもあります。
かなり個人的な内容なので、文章にすることを迷いましたが、お読みいただけると嬉しいです。
誰かの心に寄り添えたらと思い、ここに書かせていただきます。
子供の頃の自分
子供の頃の僕は、周りの人が普通にできていることがうまくできませんでした。
授業中、先生をはじめ、人の声は聞こえているのに頭に入ってこない。
目の前で人が話してくれていても、どうしても内容を追えない。
ふざけているわけでも、聞く気がないわけでもなくて、
どうしても頭にまで入ってきませんでした。
教科書や黒板の文字を見ると、内容は理解できました。
だから僕は、黒板の文字をノートに写して、それを見ながら授業の内容の確認を繰り返していました。
強い過敏体質でした。
光はただ眩しいというより、痛い。
少しの物音に恐怖を感じたり、我慢できず体が反応してしまう。
ちょっとした匂いの違いに反応しすぎたり、過剰に感じてしまい、
その場にいることができないこともありました。
当時は周りに合わせれないくらいの過敏体質で困ることが多かったです。
ただ座っていることが苦痛だったり、
うまく言葉が出てこなかったり、
頭の中が目に見える景色とは別のことで埋め尽くされていたり。
周りの人からすると、理解しにくいことも多かったと思います。
それでも学校生活は続いていくので、平気なフリをしながら過ごしていました。
さらに、突発的に大きな声を出してしまったり、
毎日歩いている通学路を間違えてしまい、家に帰れなくなったり。
そのたびに、両親にはたくさん心配をかけたし、
不安にさせてしまったと思います。
僕自身、困らせたいわけでもなく、
ふざけたいわけでもありませんでした。
ただ、自分でも何がダメなのか、どうしたらいいのかわかりませんでした。
当時はまだこういった症状への理解は浅く、
親もどう接していいかわからないことが多かったと思います。
それをうまく説明する言葉がありませんでした。
自分はダメなんだと、思うようになりました。
大人になってからも続いたこと
こういう感覚は、大人になって消えたわけではありません。
バンドを始めてからも苦労した時期がありました。
二十代のある時期は、ちょっとしたきっかけがスイッチになって、
一週間ほど、機材車から出られなくなることがありました。
リハーサルと本番だけステージに上がって、それ以外はずっと汗が止まらず、機材車に閉じこもってしまう。
九州のツアー中にも、自分でもよくわからないまま、無意識にひとりで大阪の漫画喫茶にいたこともありました。
メンバーやマネージャー、ライブ関係者からしたら、とても迷惑な行動だったと思います。
自己中心的に見えていたと思います。
本当に申し訳ないことをしたと思っています。
ただ、その時の自分には、どうしてもコントロールできない部分がありました。
呼吸ができなくなること。
動悸がして、心臓の音が自分でも聞こえるくらい強くなること。
体調は悪くないはずなのに、頭が機能しなくて、体が動かせないこと。
それは今も完全になくなったわけではありませんが、自分なりに付き合い方が少しずつわかってきました。
年齢を重ねる中で、時代も少しずつ変わってきて、
いろんな特性や症状に対する理解も、昔よりは広がってきたと思います。
通院するようになり、薬を処方してもらい、
自分の症状に名前がついた時、少し楽になりました。
「自分はこういう傾向があるんだ」
「こういう特性があるんだ」
「だから、あの時あんなに苦しかったんだ」
そう思えたことはとても大きかったです。
だからといって、弱ってばかりいるわけではありません。
僕は今もバンドマンとして歌っているし、GREEN STUDIOも経営しています。
めちゃめちゃ元気です。
ただ、自分の中には、そういう個性がある。
そして、
それを誤魔化して生きるのではなく、ちゃんと音楽にできないかと。
曲作りをするようになってから、いつかこのことを音楽にしたいと思うようになりました。
解決する歌じゃなくていい
重すぎる作品にはしたくない。
説明しすぎても違う。
気の毒な話にしたいわけでもない。
「全部大丈夫になるよ」みたいな綺麗ごとにもしたくない。
そんなふうに考えているうちは、なかなか曲にはできませんでした。
でも、ある時に思いました。
別に、解決する歌にしなくていいんだと。
誰かを完全に救う歌じゃなくてもいい。
ただ、そばにいる歌でいい。
寄り添う歌でいい。
そう思えた時に、『つぼみ』という曲は、するすると出てきました。
この曲は、聴いた人を完全に救う曲ではないと思います。
でも、同じようなことで悩んでいる人の近くに、少し座れるような曲にはなれるかもしれない。
そんな想いで書かせていただきました。
「普通」がわからなかった
並ぶこと合わせること
みんなで笑い合うこと
周りが出来ること
普通が僕には分からなかった
みんなが言う普通になりたかったのかもしれません。
でも、その「普通」が、僕には理解ができず、説明の仕方もわかりませんでした。
蕾という言葉に込めたこと
君は枝の先の柔らかな蕾だから
吹く風も雲から刺す光も
強すぎて笑えるよな
同じじゃない事が時に君を比べるけど
追いつけていないのは君じゃなくて
このズレた世界の方だ
この曲で一番書きたかったのは、ここかもしれません。
追いつけていないのは、君じゃない。
このズレた世界の方だ。
子供の頃の僕は、ずっと自分が遅れているような気がしていました。
自分が悪いのだと思っていました。
でも今は、少し違う見方もできるようになりました。
その子が壊れているのではなく、世界の方が、その子に合わせる準備ができていないだけかもしれない。
その子が遅れているのではなく、世界が追いついていないだけかもしれない。
もちろん、この世の中が悪いと言いたいわけではありません。
でも、普通という物差しだけで、人を測らないでほしい。
普通じゃないことで傷つくこともある。
でも、普通じゃないことで輝ける未来もある。
それを、この曲で伝えたかったんです。
「ありがとう、出会えてよかった」
もらったメモを開き
薄目でなぞってみたら
「ありがとう、出会えてよかった」と
書かれてた 溢れだした
人は、自分では自分の価値がわからないことがあります。
ずっと比べられてきた人。
普通じゃないと言われてきた人。
ずっと周りに迷惑をかけていると思ってきた人。
そういう人は、自分が誰かにとって大切な存在であることを、なかなか信じられないことがあります。
「ありがとう」
「出会えてよかった」
その言葉だけで、自分はここにいてよかったのかもしれないと思えることがある。
この言葉を伝えていきたいと思っています。
雨の中で、少しだけ朝になる
空を見上げている透明なその蕾は
きっと誰も見たことのない言葉と
ぬくもりを咲かせるだろう
同じじゃない事が時に君を輝かせる
眩しくて見えなかった世界は
少しだけ朝になった 雨の中
完全な晴れにはしていません。
「もう大丈夫」
「すべて解決した」
「明るい未来が待っている」
そういう歌にはしたくありませんでした。
現実は、そんなに簡単ではないからです。
でも、少しだけ朝になった。
救う歌ではなくていい。
でも、ほんの少しだけ、朝の気配を感じてもらえる歌であってほしい。
そんな気持ちで書きました。
ミュージックビデオについて
『つぼみ』のミュージックビデオは、2026年5月2日21時にプレミア公開されます。
MVにも、とてもこだわりました。
直接的すぎても違う。
でも、抽象的すぎて伝わらないのも違う。
そのバランスを、吉田くん(監督)に伝えました。
撮影の時も、完成に向かう編集の中でも、何度も相談しました。
お父さん役の見え方。
子供役の子の表情。
演奏シーンの量。
今回は、メンバーの演奏シーンはかなり減らしました。
自分たちを見せることより、この曲の中にある物語や感情がちゃんと伝わることを大切にしたかったからです。
バンドのミュージックビデオではあるけれど、ただ演奏している映像ではなく、この曲の心に合う作品にしたかった。
そういう想いで作りました。
最後に
今も何かに苦しんでいる人。
世界の音や光や人間関係の中で、うまく息ができない人。
自分は普通じゃないと責めてしまう人。
そして、そばで支えている人。
そういう誰かに、少しでも寄り添う曲になればと思っています。
この曲が、何かを解決するわけではありません。
でも、雨の中でほんの少し朝を感じるような。
壊れているんじゃなくて、まだ蕾だったのかもしれないと思えるような。
楽曲を通して、そんな寄り添いの心が届くことを願っています。
